頭のなか

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私の性格①

以前、学生相談室の先生に聞かれました。

「あかりさんの性格を教えてって言われたら、なんて答える?」

そのときは、とっさに答えが出てこなかったので、ここで改めて考えてみます。

 

思い出したのは、ストレングス・ファインダーです。

けっこう前ですが「さあ、才能に目覚めよう」という本を読み、付録のストレングス・ファインダーをやってみました。

簡単に言うと、自分の強みを教えてくれる診断です。

明確には覚えていないのですが、たしかトップ5のうち、1つは内省、1つは未来志向性でした。

内省は「自分自身のことを見つめる、反省すること」で、未来志向性は「自分や世界の未来に興味がある」ということだと解釈しています。

 

この記事では内省について書きます。

 

内省に関しては、自分でも好きだという自覚があります。

基本、起きている間は"口か頭が喋り続けてる"感覚があります。

人と会話してるとき以外は、頭の中で自分が喋り続けてるということです。

本などを読んでいるときは、その喋りは本の内容に置き換わります。

しかし、この話をだれかにすると、首をかしげられることが多いため、私の性格の特徴と言っていいかもしれません。

 

では何を喋っているのかといえば、誰か第2者を想定し、その人にされた質問に答えている、といった感じです。

これまでブログに書いてきたことも、入浴中に"想定している第2者"にされた質問への答えであることが多いです。

例えば「いい男ってどんなだと思う?」とか「男女の友情って成立する?」とかって質問をされます。

この"想定している第2者"も当然自分なので、必然的に質問内容は自分が興味ある内容になります。

これを延々しています。なんだか文章にするとちょっと怖いですね笑

 

しかし、私の性格というか性質を語る上で、外せない特徴のように感じられてきました。

それほど社交的な性格ではありませんが、起きている間は、ほぼずっと誰かと喋ってることになりますね。

大学生に戻れたら①ブログをかく

こんにちは、あかりです。大学2回生です。

インスタで「大学生に戻れたらすること」って投稿を見たので、これについてネットでも調べてきました。

たくさん出てきましたが、よく見かけるものの1つに「ブログをかく」があります。

それを書いているサイト自体がブログだ、というのも大きいですが…。

 

理由としては、

・アウトプットになる

・文章力が上がる

・稼げる

などが挙げられていました。

 

かくいう私も、「大学生に戻れたらブログ運営するって書いてる人、多いなぁ」というのが、ブログを始めたきっかけの1つです。

 

今のところ、「ブログを書く意義」みたいなものは見出せてません。

でも、たくさん書いていくうちにわかることなんだろうなと思います。

最近ブログ書くのを休んでたので、これを機にまた始めようかな。

 

私は読書が好きで、読書はまさにインプットですが、アウトプットはそれほどできてないなと思ってます。

だから最近、読後に本の感想をブクログに書き始めました。

書いて終わりじゃないというのも、よく言われますよね。

本から得たことを実行して初めて、アウトプットになるのだ!って。

それもできるようになりたいです。とりあえず過去の感想を見返すところから始めます。

 

みなさんは大学生に戻れたら、何がしたいですか?よろしければ教えてください。

 

〜参考サイト〜

・Still blank

https://www.namtyu.com/entry/wantedtodo#第1位本を読みまくる

最終閲覧:2020/09/12

 

・THE NORMAL

https://noda-biz.com/student/

最終閲覧:2020/09/12

沈黙

会話してると、沈黙することもありますよね。

とても気心の知れた相手だったら、気にならない。

だけど、初対面だったり、仲良くなる途上の人だったりすると、気まずい。

そう感じる人は少なくないと思います。

 

また、付き合いの長さは同じだけど、人によって沈黙が平気かどうかが変わるなと思うことがあります。

例えば、知り合って半年になる友達が2人いたとして、片方は平気なのに、もう片方は気になる、というようなこと。

 

相手が男性か女性かによって決まるのかな?とも一瞬思いましたが、そうでもありません。

何がそれを左右するんだろう…。

 

相手が気まずそうにしてるかどうか、または、相手にカッコ悪い自分をさらけ出せるかどうかで決まるのでは?

相手が沈黙を気まずいとみなす人だと、こちらも沈黙を気にするべきかな?という気になります。

また、「話が面白い人だと思われたい!」など意気込む相手だと、沈黙はまずい!と思ってしまう。

 

気まずい思いはなるべくしたくないし、させたくないです。

まぁ、対人関係のスパイス?と思えば良いのかもしれませんが。

 

相手が沈黙を気にするタイプかどうかを見極める。また、カッコつけすぎない。

これらを意識してみようかなと思います。

カッコ悪い自分をさらけ出し合える関係って、素敵だと思います。

積ん読

先ほど、Twitter積ん読に関する話を読んできました。

その筆者は積ん読をする派らしいです。

 

私も積ん読は悪いことではないと思います。

なぜなら本棚に入れるのは、いま読みたい本だけではないからです。

いつか読みたい本、インテリアとして置いときたい本、いつか読むかもしれない本、眠れない夜に読みたい本etc.

 

読書は自由がいちばん。

飛ばし読み、拾い読み、乱読、斜め読みも、本人が満足してるなら全然問題ないと思います。

 

ちなみに今、寝つけない夜に読む本を集めようかと思い始めてます。

さらっと、あまり頭使わず読めるものがいい。

エッセイ、コミックエッセイ、雑誌とかがいいかなーと。

読むうちに夢中になって、結局夜ふかししてしまっても、いいと思う。

ベッドの上でモヤモヤしてるより、ずっと幸せな時間になる。

大学生だから夜ふかしできるっていうのもありますが。

大学生の特権の1つとして楽しみたいです。

学校を休んだとき

私はいま大学2回生です。

1回生の後期は、精神的不調でしばらく登校できない時期がありました。

そのとき、友達から心配のLINEがきました。

「何かあったの?」と聞かれることも多かったです。

しかし、実はこの質問、結構困るんですよね。自分の中で、絶対これが原因!と確信している事柄があるわけではないので。

もちろん心配してくれるのは、とてもありがたいです。

でも、〇〇が原因なんだよねとは返せません。

精神的な不調って、たぶん何か1つが原因なんじゃなくて、色々な要素が複雑に絡んで起こるんだと思います。

 

とはいえ、私も友達が長く休んでたら心配になります。

そんなとき、どんなLINEを送ればいいんだろう?

「元気?」って送るのはどうかな。

休んでる時点で元気じゃなさそうなことは伝わってきてますが、あえて。

既に回復してれば「元気だよー」ってくるかもしれない。

もし何か話したいことがあるなら、「元気じゃない。〇〇ってことがあって…」と話してくれるかもしれない。

そして、元気じゃないけど、その理由はわからない又は言いたくないときは、「大丈夫だと思う」とか「心配しないで」ってくるかも。

もし最後のパターンなら、無理に踏み込もうとせずに「なら良かった。何かあればいつでも言ってね」と送れば良いんじゃないかな?

 

「何かあったの?」って聞くのは必ずしも悪いことではないと思います。

でも、その質問だと答えにくい…と思う人もいるかもしれない。

だから私はこれからは、「元気?」って聞いてみようかと思います。

それが良くなさそうなら、また新たに考えればいいかなとも思ってます。

あなたは友達が長く休んでたら、なんて送りますか?

発信する

私は日記をつけていますが、毎日ではありません。むしろつけてない日の方が多いです。でも無理強いすることでもないので、それはそれでいいかなと思っています。

 

一方、ブログはどうでしょう。最近読んだ本「街場のメディア論」(内田樹)でも、昔は日記代わりのブログが流行ったが、今ではほとんどがツイッターへと流れた、というようなことが書いてありました。

 

そんな時代にわざわざブログを書く意義って、何でしょうね。きっと人それぞれだと思います。発信したい!と強く思う"なにか"があるのでしょう。ちなみに私はというと、はっきりした意義はまだ見つけていません。

 

「人生とは自己表現のため、そして愛するためにある」という言葉を、過去にどこかで聞きました。それを、あるとき突然思い出して、私は自己表現を全くしていないな、と思ったのです。私はスポーツも美術も音楽も、インスタやツイッターさえしていませんでした。それがブログを始めたきっかけです。

 

どんなブログにしたいか。いま思っているのは、暇なときや眠れないときなど、軽い文章に触れたくなったとき、読まれるようなブログになれたらいいな、ということです。私自身、なにか読みたいけど、重いものは読めないな、という微妙な気分のときがあります。まさしく、そんなときに開かれるようなブログになれたらいいなーと、今のところ思っています。

 

この先も、更新は気まぐれになりそうですが、もし良ければお付き合いください。

かけてほしい迷惑

オンライン授業って、おしゃべりに妨害されることがないのも、良い点だな。

大学から出されたレポートを書いていて、ふとそれに気づいた。

授業中にこそこそとおしゃべりしている声は、とても授業の邪魔になる。

と言いつつ、自分も何度かした経験はあるので、反省している。

 

「人に迷惑をかけるかどうか」は、私にとって大きな判断基準のひとつだった。

人に迷惑をかけることは駄目なことだと、いつのまにか頭にすりこまれていた。

 

しかし、あるとき授業でインドの子育てについて聞いた。

インドでは「人は迷惑をかけてしまうものだから、あなたも人の迷惑を許せるようになりなさい」と子どもに教えるらしい。

こちらの考え方のほうが好きだな、と思った。

 

何か大事な選択をする場面で、「これは人に迷惑をかけるだろうか」と立ち止まるのを辞められたら、もっと精神的にラクになれそうだ。

例えば、新しいプロジェクトに挑戦したいとき、「失敗したら、上司にもメンバーにも迷惑がかかる」と諦めていては、自分の望む道は進めない。

 

授業中のおしゃべりは、かけてほしくない迷惑だ。

しかし、前向きなチャレンジによる迷惑は、むしろかけてほしい迷惑だ。

 

かけてほしい迷惑は他にもある。

例えば、友人が不登校ぎみになったとき。

授業ノートを写メしてほしい、ちょっと話を聞いてほしい等という迷惑は、どんどんかけてほしい。

友人とは互いに迷惑をかけ合うものだと思う。

 

と言いつつ私も、誰にでも気軽に迷惑をかけることは、できていない。

しかし、遠慮なく迷惑をかけ合える相手が1人でもいたら、それは自分にとってかけがえのない友人だろう。

「病んでる」などと言われたくなくて、友人にもなかなか悩みを話せないという人も、実は多いのではないだろうか。

そうした人たちが、1人でも多く、迷惑をかけ合う友人と出会えたらいいなと思う。

 

あなたには、迷惑をかけられる相手がいますか?