かけてほしい迷惑
オンライン授業って、おしゃべりに妨害されることがないのも、良い点だな。
大学から出されたレポートを書いていて、ふとそれに気づいた。
授業中にこそこそとおしゃべりしている声は、とても授業の邪魔になる。
と言いつつ、自分も何度かした経験はあるので、反省している。
「人に迷惑をかけるかどうか」は、私にとって大きな判断基準のひとつだった。
人に迷惑をかけることは駄目なことだと、いつのまにか頭にすりこまれていた。
しかし、あるとき授業でインドの子育てについて聞いた。
インドでは「人は迷惑をかけてしまうものだから、あなたも人の迷惑を許せるようになりなさい」と子どもに教えるらしい。
こちらの考え方のほうが好きだな、と思った。
何か大事な選択をする場面で、「これは人に迷惑をかけるだろうか」と立ち止まるのを辞められたら、もっと精神的にラクになれそうだ。
例えば、新しいプロジェクトに挑戦したいとき、「失敗したら、上司にもメンバーにも迷惑がかかる」と諦めていては、自分の望む道は進めない。
授業中のおしゃべりは、かけてほしくない迷惑だ。
しかし、前向きなチャレンジによる迷惑は、むしろかけてほしい迷惑だ。
かけてほしい迷惑は他にもある。
例えば、友人が不登校ぎみになったとき。
授業ノートを写メしてほしい、ちょっと話を聞いてほしい等という迷惑は、どんどんかけてほしい。
友人とは互いに迷惑をかけ合うものだと思う。
と言いつつ私も、誰にでも気軽に迷惑をかけることは、できていない。
しかし、遠慮なく迷惑をかけ合える相手が1人でもいたら、それは自分にとってかけがえのない友人だろう。
「病んでる」などと言われたくなくて、友人にもなかなか悩みを話せないという人も、実は多いのではないだろうか。
そうした人たちが、1人でも多く、迷惑をかけ合う友人と出会えたらいいなと思う。
あなたには、迷惑をかけられる相手がいますか?